メーデーおめでとうございます。

雑談

自粛に始まり忖度に終わる、などと言えばいかにも凡庸にちがいない。それにしても、前の改元時、誰に指図されるでなし取り組まれたおこないを一括りに言い表す「自粛」と同じくらいしっくりくるキーワードを、それから三十年後の今に当てはめることができれば、こんな自分だって、一つの時代に区切りをつけて、新しい時代を迎えられるのかもしれない―と考え、いちどはそう呟いてみる。

たとえば官製祝賀に喜んで見せる様から政権への慮りを読み取って、いくぶん拡大解釈的にこれを「忖度」を呼ぶことはたやすく、あながち間違っているとも思えない。それにしても私たちが忖度と呼ぶおこない、とりわけ流行語のようになってからのそれは、何かをすることよりもしないこと、しないためにする別のことではなかったか、とも思える。そして、私たちがとりあえず的に忖度と名付けるおこないのいくつかもまた「自粛」のバリエーションだとすれば、未だに私たちは、誰かを慮った自粛の時代を生きている——そう思い知らされる今日この頃である。

時代を画する出来事はいくらでもあったのに——すぐに思い出せるそれが不幸なものばかりだとしても——30年前とは良くも悪くも様変わりした今日この頃の空気が、祝賀ムードに沸くほどにかえって、自粛ムードに冷えきった一月のあの日々を生々しく思い出させる。なるほど、改元による「リセット」効果とはよく言ったものであるなと。

Hanne HasuによるPixabayからの画像を使用

タイトルとURLをコピーしました