おまえのラブライブ

趣味
夏やね…。

少なくともファンの間では総じて評価の高い音楽・曲に初めて触れた時に私が不安を抱いた理由は、まさにその出来の良さにあった。

「アニソン」の作詞は縛りプレイみたいなもので、これを無難にクリア出来ればよしとせず、その縛りを逆手にとってハイスコアまで狙ったのが「ラブライブ」の楽曲群だと、私は思っている(個人の感想)。そこでは、たかが高校生のつくる曲、という建前が、クオリティの低さとは別の仕方で、いきいきと再現される──作中キャラクターの年相応という限られた語彙群から見出された、キラキラかがやく宝物のようなコトバが紡ぐ歌は、「彼女ら」が、幼さ・幼稚さ・稚拙さを若さへと昇華させるさまを彷彿とさせるのだ。

もっとも歌は、その出来が良ければなおさら、いきおい「ファン」の熱意に押されるかたちで、コンテンツのテーマ、文脈を知らない「一般人」にも開かれる──理解のない彼ら彼女らによる、客観的な評価に直面した時、楽曲ありきのコンテンツは脆いのではないか、などと、「一般的な音楽番組」への露出が次第に増えるにつれ心配したものだが、結局それは杞憂だったのか、知らない。

  • ケータイ・スマホでゲームをしない自分の信念を初めて曲げたのはAndroid版「スクフェス」開始の時だった。もっとも操作のしづらさから、ほどなくしてiPadを購入しiOS版でやりなおすことになる──これが最初の端末課金であった。「感じ」を覚えるためにアルバム諸々を買うなど、微々たるものながらコンテンツにも金を落とした。それにしても「石」を買うまでには至らず、次第に増えるキャラの整理が面倒になり、最初のクリスマスイベントを見ることなく引退する。昨年始まった「スクスタ」をしばらく続けているのは、アイテム・キャラの整理に煩わされないからである。
  • 「アイマス」の楽曲は「アニソン」というよりもゲーム音楽だと、私は思っている(個人の感想)。そして、ある種のクリティカルな場面でそれはゲーム音楽であることに居直るだろう。「ラブライブ」には、こうした居直りをきめこむ「余地」がないように思える──それはコンテンツとしての敗北を認めることになりかねない。
  • 「アイマス」の楽曲が、というか、それを聴く者が強くいられるのはそれがコミックソングに徹しているからであり、いわゆる「一般人」にそれを聴かれて嗤われたファンもまた一緒になって嗤えば良いからである。比べてみると随分垢抜けた「ラブライブ」の楽曲に感じられた危うさ、というか、これを聴いて「悪くないな」と感じたその時に抱いた、一抹の不安みたいなものは多分、それを誰かに嗤われた時の「逃げ場のなさ」に気づいたせいだろう。
  • 「アニソン」を社会主義リアリズムと比較して論じるテキストを探している。誰かが必ず書くはずだ、と私は信じている。

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