自分と比べて明らかに資質も能力も劣る者に直接仕えること自体は必ずしも、世間一般的に考えられるほど苦痛でない。
いっぽう世間一般も薄々そう感づきながら「傷つけられるプライドの物語」は依然根強く残っており、その枠組みでざっくり分かったつもりでいようとする。
先の仕える側にもまた、自分の仕事が思うように運ばなくなったり、仕事ぶりに批判が向けられると、才能を活かせない境遇を嘆いてみせながら、同じ物語へと我々を導こうする者がいる。それでいて、調子の良い間は同じ口が「神輿は軽くて馬鹿が良い」などと嘯いたりもするのだから始末が悪い。
言う方も聞く方も、有能な担ぎ手集団によって見事になしとげられるおまつりごとを想像しがちだが、実際におこるのは、神輿の権威をかさに着た軽率な馬鹿騒ぎと、軽い神輿に慣れきった担ぎ手たちの劣化ではないか。
軽率な馬鹿であってはならない、面倒な考慮と配慮を要する仕事を通して自身の倫理観を形成した者にとってそれは、文字通り死ぬほど耐え難い苦痛にちがいない。一方で、そんな煩わしい倫理観が免除されることを喜ぶ者たちもいるだろう──自身の劣化を棚上げにして、仕事の不出来は神輿に責任転嫁、果ては「面従腹背」なるキーワードで、先の物語へと我々を導く者たちのことだ。