猫派の中には猫になりたい者が少なからずいるだろうが、犬になりたい犬派はたぶんいないか、少なくとも猫になりたい猫派ほどにはいない。
人と犬の間を描き出す語りは、友好関係、というか「関係」の文字に親和性がある。それがたとえば対等な友情で結ばれるか、支配-被支配の上下関係かは問わず、人と犬は、関係によって繋がる互いに異なる別の存在であり、その関係は人が人であり、犬が犬であることを前提に築かれる。
いっぽう人と猫との間には──人と猫はその間でなく共にあるさまが描かれる。この共存は人が人であり猫が猫であることに依存しないから、ここでは人が人のままであってもよいし、猫であってもよい。両者は関係を築くというよりも、共にあろうとし、ただ、それができる者もいれば、できない者もいる──しばしば言われるような猫の気分次第ではなく、実は人が共存を拒むこともあり、たとえばなにかにつけて猫の気まぐれを強調する者は、自分が人であることに執着しすぎているのかもしれない。
- 犬派と猫派の違いを語るとき人は、自分がどちらに所属するかによって左右されがちなステレオタイプの表明に終始しがちだが、同時にそれは自分が抱くステレオタイプを見直し反省できる良い機会でもある。