地獄で鞭を振るう者は

雑談

馬を鞭打つ者が落ちる地獄で彼に鞭を打つ者の顔は馬か、人間か。前者は報いとして出来過ぎている──報いによる免罪と赦しのシステムを地獄に持ち込むことで、地獄から解放される保証を得ようとする願いが、馬ないし馬面の執行人を描き出す。そもそも地獄は報いを受ける場所ではない──報われるべき者が、そこにはいない。贖罪と悔悟の砂山は天に届くことなく絶えず奈落に崩れ去る一方で、嘆きと憎悪は頭上に高く積み重なり、苦痛に苛まれる身を磨り潰す──かの地で、馬と同じ苦痛を終わりなく与える者の姿は、抵抗できない者に鞭を振るう醜悪な人間こそが相応しい。だとすれば執行人の顔は、刑を受ける本人か他人か──前者には、自身の醜悪なおこないを過ちとして認めることで赦される希望がうかがえるぶん、それが決して叶えられないだけいっそう地獄みが強く、一方、後者であっても、本人が悔い改めることのないまま執行人に対して募らせる憎悪に押し潰される様をより地獄みが少ないとは言いづらい──それを決めるコンセプトすらないまま、人間の嗜虐心がそうであるように、終わりなく思い付きで人を苦しめるのが地獄であり、案外それは、生の側から地続きの、われわれに身近な場所である。

Photo by Andrew Buchanan on Unsplash
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