会社の上司やマナー講師でもないのに、そもそも自分に向けて言われたわけでもないのに、やたら敬語にこだわる者たちに、穏やかな言い方で余計なお世話、そうでない言い方で奴隷根性的なものを、読み取ってもよい場合だってあるだろう。
それにしても「ネット」上で他人の言葉尻を取り締まる「彼ら」の物言いには、普段おとなしい自分の方が、声の大きな奴らよりもずっと「正しく」日本語を話せるんだ的な、あるいは、「社会人様」よりもずっと「正しく」社会の上下関係をわきまえているんだ的な、ちょっとアムロっぽい思い上がりが垣間見えることもあって、ほほえましい。だから「彼ら」のふるまいをざっくり「敬語警察」と呼んでしまうと、そこにある「若さ」みたいなものをうまく言い当てられそうにない。
特定の分野の外にいながら、中にいる者たちよりもずっと「正しく」分かっているつもりで喋る者たちには、大昔から「評論家」という名前がある。もっとも本職の「評論家」のように自分の声ではっきり話す者に対して「彼ら」が抱く妬みは相当根深いはずだ──「評論家」呼びなどこれ以上ない侮辱にちがいない。
喧しい評論家よりもずっと「正しい」知識を湛えた存在としての「彼ら」を適切にとらえるために、「博士」呼びがもうすこしカジュアルになってもよいと思う。
jacqueline macouによるPixabayからの画像