シンエヴァ見た感想追記

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夏やね…。

ネタばれ系のシンエヴァ感想・批評を巡回すると、ある種の熱狂的なファン(おだやかな表現)に対する当てつけを云々する記述が少なからず目に留まる。それを彼らの自意識過剰と退けるつもりはないにせよ、もしそれ──当てつけのようなもの──があるとしても、今回は相当マイルドで、「彼ら」に対して同情的に描かれていたように見える。

過去の遺物と上から与えられる超科学の恩恵を受けながら、大人の真似事を繰り返して今日と同じ明日を願う第3村の暮らしは、一見すると「彼ら」の生態からかけほど遠く「健康的」でありながら、その停滞的な心情に寄り添ったものではないかと思える──未曽有のカタストロフでうっとおしい大人が全部消し飛び、なおかつ自分はちゃっかり生き延びる方に収まり、(下手したら嫁まであてがってくれそうな)面倒見の良いオバチャンに囲まれた、「彼ら」にとってあからさまに好都合な世界ではないか。もっとも、丁寧に描かれたここでの暮らしに対して、作り手側が必ずしも否定的であるとは思えない。むしろ、こんな生き方もありだろう的な、同情すら感じられる描写で完結しているように見えた──だからこそ、この居心地のよさを悪意なく説明し肯定するヒカリやケンスケの言葉が蛇足的に響くことで、主人公のみならず見る側、そして「彼ら」に、ここに留まることへの違和感を誘ったのではないか。

  • どちらかと言えば、旧劇場版に対する反応にこそ「彼ら」の自意識過剰を見た記憶がある。
  • 他にも「彼ら」を意識した描写・演出を敢えて挙げるなら、冬月の妙に雑な扱いか──おそらく「彼ら」が好きそうな、そして自己同一化しやすそうなポジションを、無慈悲に取り払ったあたりだ。
  • ラストシーンについては、続編や後日談を臭わせる別の「世界」を描く以外の方法で後腐れなくエヴァから主人公を退場させるなら…程度の解釈しかできなかった。
  • 先行公開された序盤を含めてナディアの援用、というかナディアっぽさをいたるところに見てしまうのは、ナディアの呪縛というよりも、自分が持つアニメを見るための引き出しのうち、すぐに使えるものがナディアくらいしかないこと、つまり引き出しの貧困が原因ではないか。そもそもナディアっぽいものが、それ以前に描かれた別の作品の援用だったりするわけだが、その引き出しを自分は持ち合わせていないので、全部ナディアっぽいで済ますことになる。ナディアを知らない人の目にはもっと単純に「それっぽい」とだけ映るだろうが、案外その方が作り手のスタイルを言い当てている。
  • どう見てもナディアにしか見えななら、満面のシンジくんスマイルで「ありがとうございます」とでも言ってやればよいではないか。
  • それにしても、地獄の門あたりに描かれた模様がどうにも、マクロスに見えて仕方なかった──これもまた呪縛か。
  • 同じくらい多く言及されたケンスケとアスカの関係性はむしろ、この映画の中で一番心温まるポイントではないのか?
  • 前世紀末に私が、エヴァ、というかその周辺の批評から学んだキーワードは「衒学的」と「それっぽい」だった。

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