マスコミ批判の文脈で「忖度」を使うのは、なんか違う。

雑談

「忖度」には、忖度する者たちへの同情や、その人が置かれた事情へのご理解を請う響きがあって、批判の言葉としては案外弱い、と思う。それでも末端で業務にあたる彼ら彼女らが慮る誰かの都合に向けた、あるいは忖度込みで動くしくみそのものに向けた広い視野へと批判を促すから、昨今の役所・官僚の不正を論じる文脈でそれが用いられた分には、特に違和感がなかった。

昨今のマスコミ批判に出てくるそれは違う。たとえば役人の「忖度」なら「それも仕事」的な納得ができるかもしれないが、報道機関のそれは「仕事」なのか。彼ら彼女らの「仕事」は市民との間ではたかられるのだとすれば、そこにある不作為は「仕事」をしていないがゆえに批判される。そもそも「忖度」のうえにその「仕事」は成り立たない。マスコミ批判の言葉として相応しいのは端的に「怠慢」ではないか──違和感の原因は、このあたりだろう。

それにしても、広い視点と同情的まなざしを表現できる便利なキーワードは、ものわかりの良い批判者といった心地の良いポジションを提供してくれる。新聞に甘い言葉は読者にも甘い。

moritz320によるPixabayからの画像を使用

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