20220720
かの事件の速報にあった「散弾銃」なるワードに、30年も昔の記者襲撃を想起した者は決して少なくないはずだ──「サリン」と聞いて否応なしに思い出す事件があるように。自身の直感が行き届きすぎているように感じる時はたいてい陰謀論をこしらえており、見識と了見と視野の狭さを省みるべきところ、それにしても我々が身を置く社会には、ときに凡庸な直感でさえ行き届いてしまえる程に狭い側面が、確かにある。人がそこに闇を見るのは、底が深いからではなく、光を遮る閉所だからである。
20220717
政治に対する宗教の問題を部屋の中の象で例えると、的確で収まりが良すぎるあまり比喩に振り回されてしまいがちで、知らぬ間に我々は人一般に対する象の話に終始する。たとえ話から得られた知見が抽象化を経て元の文脈であらためて具体的な姿を与えられることなく、たとえ話のままある様にばかり豊かな具体性がみとめられるとき、人はまだ、たとえ話から知見を得られていない。「とどのつまり」「結局のところ」につづく論が、キャッチーなたとえ話への言い換え、単純化でしかない症状にも同じことが言える。
20220716
かの教団と政府与党の関わりを擁護・正当化する者らが「信者」「洗脳」のワードで括られることは短絡的に見える。カルトにとっての信仰は「システム」全体に行き渡らされせるべき要素でなく、むしろ、それなしで回せる部分が多い方が「システム」たぶん無駄なく機能するのではないか。信仰なしで回る既存の「システム」を社会の中に見出して、これを教団に接続できれば、「洗脳」なしではたらく人員を動員できる──「信者」でない彼ら彼女らはしばしば、自身の意志の強さとリテラシーゆえ「洗脳」など通用しないと信じながら、その実、単に「洗脳」を要しない都合の良いだけの存在ある。
20220715
権力・利権とつながるためにカルトを「利用」しようとする者は、専ら俗世的で利己的な動機を根拠に、自分は取り込まれない・「洗脳」されないと信じている──かかる「純粋な信(仰)」を教団は「尊重」する。それにしても、ある種の「一発逆転」を期待する者は、自身の社会的地位と経済的価値がそのまま教団内のポジションとして顕在化されることに愕然とするかもしれない──別の価値体系によって自身の秘められた価値が「見出される」ことを期待する者もまた同様である。彼ら彼女らは、自覚的に現世利益を追求することで、おかしな教義を真に受けた「信者」と自身を絶対的に差別化し、そのためにいっそう、なりふりかまわず「純粋」に、利己的に教団内の地位を高め、やがて勝ち得た地位と厚遇に相応しいことをたえず証明し続けることで、差別的な特権意識に凝り固まるだろう。その意識が利己的な外形をとるがゆえに本人は「洗脳」を認めず、教団との「本当の」関りは断固として否定しながら、特権を手放せずに見苦しい言動と振る舞いに終始する様はしかし、傍目に「洗脳」と映るかもしれない。
20220714
かの「事件」にはじまり「政治と宗教」におよぶ問題は、例えば「部屋の中の象」みたいな比喩の解釈よりもずっと手前の段階にある、本文中にそのまま書かれた答えを読み取るだけの「こくご力」さえ乏しい、ある種の日本人像を照らし出す──彼ら彼女らは、問われもしない登場人物や作者の隠された意図が問題であるかのように喧伝し、挙句にこれを、答えが出ない不毛な問いとして切り捨てるのだ。
20220713
いかにも国民・有権者をバカにした政府の言動が口喧しく指摘されるたび、政治をバカにしているのは自分たちの方だと「精神勝利法」に浸る者は、喧しいサヨク・リベラルでなく自称ノンポリの日和見連中に多く見らる。本人たちは呆れかえり嘲笑する仕方で前者よりも「冷静」で「俯瞰的」に政治を見て、大人の態度でこれに携わっている、と信じている──もっともそれは後付け的な信念で、実質的には、彼ら彼女らを含む国民に向けてときに暴力的にあらわれる政治に対してよりもむしろ、かの政治を批判的に論じることで間接的に自身のプライドへの攻撃をたくらむ卑劣なサヨクに対して発動する、防衛的な理論武装である。
20220712
権力とのコネを期待してカルトに関わろうとする「合理的」な処世術をとがめる論理は「ライフハック」に内在するか。
20220711
寝ること以外の休み方を知らない、ある種の唯物論者ほど、脳筋的な根性論に陥りやすく、都合の良いヒーラーが存在しないリアルで戦い続けることは難しい。
20220710
かの事件を機に信仰の自由が、信仰に対するあらゆる批判を許さない「自由」に読み替えられる可能性があるとすれば、それは宗教権力の後ろ盾を期待したある種の「表現の自由」界隈によるアシストを伴うだろう──案外彼らは無自覚な「布石」ではないか。
20220709
ふだん冷笑家を気取る連中がこれみよがしに「道徳」的・良識的見解を表明して生身の人間アピールをする様を見るにつけ、そういうセルフブランディングなのか、その不徹底なのか、判断に迷う──彼ら彼女が提示するかの見解の凡庸な体裁が、一見すると人間味ある素朴さの表現でありながら、まさにそれを冷笑して見せる皮肉の可能性を採用するなら、セルフブランディングはむしろ徹底されている、とも考えられる。
いずれにせよ「彼」の名は死してなお他人のブランドに供される。
20220708
「法による裁き」を社会的包摂と捉えるなら、「こんなひとたち」である自身を敵視し排除さえしようする「彼」に対してもなお、市民的紐帯の仕方で和を結ぼうとした者と、もっぱら利権のために「彼」を「法」外に置き続けた者は、それぞれが誰で、どの「側」なのか、そして──「普通の日本人」が好きそうな問いを立てるなら──「ほんとうに」「やさしい」のは、どちらか。「彼」との「絆」を最後まであきらめなかったのは、どちらか。
前者によって「彼」の名は数多の教訓とともに市民社会に記憶される一方、後者にとってのそれは当面のあいだ価値を認められ用立てられる消費財でしかない──やがて「彼」の存命中に構築されたシステムを使い回そうとする者達が、然るべきモノを「コア」に納めたのち、疎まれるようにして記憶と記録から消されるだろう。
20220707
いまの与党政府のもとで行われうる独裁や戦争に対する懸念を一笑に付し「奴らはそんなに有能ではない」などと訳知り顔で嘯く者らはしばしば、独裁や戦争を政治力学の芸術的な構築物であるかのように想像する──自分の考えた最強のディストピアを、自分ならもっとうまく実現できるかのような思い上がりさえ透けて見える。
これから訪れる事態は、かかる明確な語に対応するほどの体をなさない中途半端でだらしない「存在する無政府」が、マクロミクロ問わずあらゆる政治の場を占領することで、ほんらい政治が存在し機能すれば実現できたかもしれない、よりましな生の可能性の一切を阻むだろう。それは仕組まれたものでなく案外、なんらかの政治・政策がそれを担う者らの能力不足ゆえに生じる現象でしかない。ただ権力側の目には事態が「なぜか知らんけどうまくいく」ように映るだろう。
20220706
なつかしさに価値をみとめ、なつかしいものごとに帰属したり自身に帰属させたりする消費の仕方を、実際には身に覚えのないものごとに対する精神的な模倣から身につけたテレビっ子世代の優等生たちは、ようやく手に入れた「俺たちの」「本当に」なつかしいコンテンツの貧弱な品揃えに絶句できるだけの感性を持ちえなかった。
20220705
「選挙にいっても変わらない」的な言いぐさを、有権者の諦め・無力感の表明と捉え、彼ら彼女らのエンパワメントこそ必要ととなえるサヨクの認識が正しい場合もあろうが、一方でむしろ、自信なり確信をもってそう言える、そう言えってしまえる自分のパワーに酔った者さえ、少なからず存在するのが昨今であり──彼ら彼女らにとってそれは、無力なインテリやサヨクが理解できない真理であり、おそらく「個人の感想」ではない、力ある何かの一部である。
20220704
子ども大人そして年齢問わず、ふだん簡単なこと、日常的なこと、基本的なことを語るための言葉が、まるで専門用語であるかのように隔離され、人工的で豊かさを欠いている──これを良くも悪くも供給しアップデートする土壌は今日、当たり障りを周到に削ぎ落したワードと煽情的なキャッチフレーズの厚い層で埋め立てられている。両者は一見すると相反しながら、いずれも使い易さにすぐれ、人は自身の目に見え手の届く範囲の事柄であれば、深く考える前にこれで語り尽くせてしまうがゆえに、高度な議論や専門知に接続できずともなんら不足なく、その必要性も感じないまま、いっそう分かりやすさのタコツボに進んで入り込む。
20220703
たとえば遵守しない者に対して積極的に便宜を与えるようはたらく法のありかたを論じるにあたってはもはや、その不備やら抜け道を云々すること自体が誤魔化しでしかなく、司法制度の議論でさえ次元が高過ぎる──かといって三権分立のさらに手前へと、基本に立ち戻るにしたがって、これに接続できる言葉が乏しいため、通り一辺倒の解説以上に議論が深まらないから、議論を仕事にする者らは、手持ちの言葉で扱える領域を設定して、的外れな成果物の製造に勤しむほかないのか。
20220702
一見すると彼岸の存在に映るものがわれわれから地続きであることを暴き出す作業が、社会科学の面白みの一つだとすれば、例えば善悪を超越したかのように振る舞う権力などは、学者にとって格好の餌食と映るはずだ。
20220701
今日共感を得られる悪のスタイルは、法を意識的に破るどころかそれに無関心を決め込み、これを公然と違えてみせることで、善悪の彼岸にあるかのような権力を誇示するだろう──見ればわかるレベルの平易さゆえにこれを「頭空っぽ」にして眺められる者たちは、爽快感に満たされる形でたやすく悪に共感する。いっぽう、法や制度の抜け道を利用して私腹を肥やし権勢を固める悪は今日、遠回りにして非効率で、コスパ的に弱い──その様は爽快感を欠き、小難しい理屈でトクする連中は単純にズルいので、共感を得るのは難しそうだ。