白々しい弁明

雑談

かの首相のとりまきを見るにつけ、我々に馴染み深い2つの命題にますます確信を抱かずにはいられない──ひとつは「類は友を呼ぶ」であり、もうひとつは「馬鹿は感染る」だ。

神輿は軽いほうが良い、などと訳知り顔でうそぶきながら、はたから見れば狂気の沙汰でしかない祭りに酔いしれる自身の姿を客観視出来ないさまを我々は普段、なんと呼んでいるのか──賢い連中が見落としがちなのは、冷静である・醒めているという自覚と、自分を客観視できることとは別物であることだ。

「面従腹背」をアピールして、本当の自分はこんなものではないと周囲に、そして何よりも自分に言い聞かせ、そう思い込む──この一連の「作業」には、自身の客観視や、自分がどう見られているかの認識を要しないし、むしろそれを避けるために、いっそう強く思い込むのだ。

そもそも自身の「面従」が「国益」レベルで実害を伴っているのに「腹背」を論じることになんの意味があるだろうか──みたいな客観視の欠如は、有り体に言えば、国民一般に自分たちのシゴトなど理解できまい、などと思い上がった選民意識に根を持つのだろう。

  • アホ・バカがうつる、というのは、言動や振る舞い、考え方が似てくる、というよりも、普段求められる知性の程度が低いために知的怠惰に陥ってしまう状態を指す。カシコイ者ほど上手にラクをする分、進行具合が酷いようだ。
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