今年の私のGWは、多くの人がそうであるように、10連休には程遠い、ただ短くないだけの連休である。それにしても、2018年-2019年の年末年始は、社会人になって以降最長の9連休であった。それでも長いとは感じられなかった。
生来「働きたくない者」である、たとえば私のような者には、どれだけ長い休暇でも「足りない」と感じられる。それは休みの間にやりたいこと・やるべきことを結局出来ずじまいだったから──では、多分なく、もっと単純に「働きたくない」からだ。なにしろ次の出勤日を永遠に先延ばしにするには、10連休でさえ全く足りないのだから。
ところで、働く者にとって、休暇の喜びとは、働かないことにある──この自覚を持てない限り、無力感と罪悪感が休暇の後半を台無しにしてしまうだろう──とすれば、何をするでもなく過ごした日々はむしろ「働かない」で満たされた至福の時であるはずだ。それにしても実際には、働かずにいてもなお「仕事・働くこと」は、雑念としてたえずたちあらわれる。
なんらかの活動や趣味に没頭する「有意義な休暇の過ごし方」はもっぱら、休み明けにする仕事のパフォーマンスから語られがちだが、働かない時間を雑念から守り、より豊かにするためのそれが論じられても良い──やったこと・成し遂げたこと自体でなく、働くことから解放された度合いで論じられるそれは、無為に過ごした時間を決して罰しないだろう。
もちろん、何もしないで雑念に打ち勝てるなら、それに越したことはない。たとえば自宅から一歩も出ずに実行できる瞑想・マインドフルネスは、「働きたくない者」にとっても有効なツールとなりうるのだ。