SNSのアイコンに可愛い「キャラ」を使う例のアレを、「彼ら」の容姿コンプレックスに直結して囃したてるさまは、勝ちに急いだ感ありでみっともなく、しばしば的外れでもある、と思う。
「彼ら」がその種のアイコンを好んて使うのは、可愛いキャラで下種なことを言って見せるのが単に面白いからであり、自分の容姿は関係ない。そして「彼ら」のうち少なからず──自分の顔を他人から意識されることなくいられた者たち──はむしろ、自身の容姿を中程度と認識し、素材は悪くないのだから、磨けば中の上程度を狙えるとさえ思っている。
「彼ら」は鏡を見ないのか、などと揶揄する向きもあるだろうが、実際のところ「彼ら」は自分の姿を鏡でしか見たことがない。他者の視線を内面化することのない、容姿コンプレックスに無縁な「彼ら」にとって、それに日々苛まれ無駄に消耗する者たちは愚かに映るだろう。
「彼ら」がコンプレックスを抱くのは容姿よりもむしろ声、というか声音ではないか。日々書き綴られる、くだけた語りくち──とりわけ蔑み・嘲り・笑いでいきいきとはずみ、まばゆいかがやきをはなつそれ──は、声に出してそれを言えない、それを言うにふさわしい声音を持たない「彼ら」の強烈なコンプレックス、そして渇望を表現する。しばしば「着ぐるみ」とまで言われる可愛いアイコンで「彼ら」がなりきるのは、その姿というよりも声音である。
- 彼らがネット上で傍若無人に振る舞えるのは、顔が見えないからではなく、声が聴こえないから、なによりも自分が自分のナマ声を聴かずに済むからではないか。
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