窮地で人は本性を現す、みたいな定型表現は、それが当てはまる場面もあるにせよ、「人の本性」みたいな単語を教条主義的に忌避する私としては釈然としないものがある。
ふだん人はその本性とは異なる様々なありようを選ぶことができ、窮地はその選択肢を奪う。ただし、窮地で人がとりうる残されたありようは本性でなく窮地で決まる。そして、本性に直結するありようを残してくれるほど窮地は甘くない。とすれば、窮地で人がみせるありようが物語るのはその人の本性でなく、あくまで窮地の状況のはずだ。
状況に応じて様々なありようを選べることが人一般の「本性」であり、その幅の広がりが人としての豊かさであり、とりわけ窮地でのそれが個々人の資質である。それにしても、人がひとつのありように執着する姿から、人としての貧しさや資質のなさを読み取る前に、彼ないし彼女が、しばしば自覚なしに陥っている窮地に目を向けるよう心がけたい。
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