客をぞんざいに扱ってみせる「イキリ」が涜神的な効果を狙ったものであるなら「お客様は神様」の理屈でそれを諫めることは難しい。その理屈が、厄介な他者である客の扱いを儀式化することで接客コストを軽減するための便法でしかないならなおさら、幼い反抗心を抑え込めそうにない。かといって客と自分を対等に捉えたうえで、その態度が適切かどうかを問いただすこともまた、人間関係の対等性を基礎づける平等観念やら人権意識が希薄なわが国では極めて困難にちがいない。だから「お金をいただく以上は」的な理屈で客との間にねじ込んだ勾配からこしらえた接客道徳を先の接客神学に置き換えただけの説教が試みられる。このとき最初の「イキリ」は、単なるタブー破りとしての側面を持ちながら同時に、金を支払う、ただそれだけで横暴を甘受するよう強いる者達への怒りを通じて、経済合理性の外部に存在すべきものとしての、平等観念・人権意識にいたる道をひらく契機となるだろうか。
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